松任谷由実が語る最新アルバム「深海の街」今月中に聴いてほしい理由とは?

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みなさん、こんばんは。
愛原 夢音です♪

今回は、坂本美雨のディアフレンズから。
ゲストは、松任谷由実さんです。

今年中にどうしても聴いてほしいという
渾身のニューアルバム「深海の街」について伺っていきます。

 

Contents

「今年中に聴いてほしい」松任谷由実の強い思いが4年ぶりのアルバム「深海の街」に

 

 

松任谷由実さんは、12月1日に4年ぶりのニューアルバム
「深海の街」がリリースされました。

ニューアルバムができたというよりは、
”作品が生まれた”という方がしっくりくるような気がします。

アーティストにとってオリジナルアルバムは、
画家でいうと個展みたいな感じ

1つのテーマで何作もまとめて見ていただくということは、
1曲1曲聴くのとはまた違う趣きがあります。

今年はコロナ禍ということもあり、今年中にこの作品を
出したい
という強い思いが、松任谷由実さんにはありました。

クリエイターとして、こういう年に一体自分は
何を記録するのか”ということに1番興味があった松任谷由実さん。

このアルバムを、まずは自分のために
つくりたかったのだそうです。

長く音楽活動をしてきた松任谷由実さんは、自分のために深く
音楽を追求していけば賛同してくれる人はきっとたくさん
いるのではないか。

そんな期待のもとに、今回のアルバムが
できたというわけなんです。

2020年って、世界史に残るほどの出来事が起こった年
言っても過言ではありませんよね。

残念ながら、まだまだこの状況は続いていきそうです。

もちろん改善されることもあれば、
もう戻らないものもありますよね。

ですが、そのきっかけとなったこの2020年というのを
記録しておきたかったんですね。

 

12月1日のリリース、実は40年前と共通点が

 

 

今回ニューアルバム「深海の街」が12月1日にリリースされましたが、
この”12月1日のリリース”。

40年前にも12月1日リリースされたアルバムがありました
それが、「SURF&SNOW」です。

今回リリースの「深海の街」のアルバムのジャケットは
潜水服で抱き合っている男女のポーズ。

実はこのポーズ、SURF&SNOWのポーズなんです。

みなさん、お気づきでしたか?

「深海の街」では潜水服越しでチューブもついている姿

そこに一筋の光が差し込むというジャケットで、
意味合いが全く違うんです。

意味合いは全く違うけれども、共通のものはある。
そんなアルバムに仕上がりました。

SURF&SNOWのVOLUME ONEの40年前は、
リゾート感を世の中に提示したものだったのですが、
このVOLUME ONEからVOLUME TWOが出ることなく今に至ります。

最初は、このVOLUME TWOをつくるという想定で
楽曲づくりを進めてはいました。

すでに去年からVOLUME TWOを実現しようとしていたのですが、
なかなか形にならず…。

当然40年前のリゾート感という価値観やコンセプト自体も
変容していますから、どのような形でその世界観を
表現するべきかを、松任谷由実さんは考えていました。

居ながらにして、どこか旅をしたりして、自分を探す

そんな脳内リゾートがテーマになるだろうと漫然と
思っていたのですが、それがくしくも、コロナ禍で
「深海の街」という作品として実現したということなんです。

脳内で旅する、脳内リゾートが必要な世の中になるって
なんだか不思議ですよね。

ちなみに…

 

松任谷由実さんが「SURF&SNOW」をリリースした
40年前というのは、坂本美雨さんが生まれた年なんです。

 

この事実を知って、松任谷由実さん思わず

 

「なんか、鳥肌立っちゃった」

 

と、感慨深いご様子。

 

番組内では、ニューアルバム「深海の街」から
「REBORN~太陽よ止まって」がオンエア。

 

「今度のアルバムは変わったぞ」
「ゆーみんは変わったぞ」

 

と思ってもらえる、松任谷由実さん自身も
とても気に入っている曲です。

みなさんもぜひ、この機会に聞いてみてくださいね。

 

自粛期間にモチベーション喪失を経験した松任谷由実 どうやってモチベーションを上げたのか

 

 

コロナ禍で自粛期間があって、家で過ごす時間は本当に長かったです。
かなり悶々とした時間を過ごされた方もいらっしゃったと思います。

もちろん、これはアーティストや俳優のみなさん、
芸能人の方は特にそうだったと思います。

現在もなかなか厳しい状況だとは思いますが…

音楽は果たして必要なのかこれからどうやって音楽を
つくっていこうか
、など…同じように悩んで苦しんだ方が
たくさんいらっしゃると思います。

松任谷由実さん、この自粛期間に
何を思っていたのでしょうか?

事実で言うと、松任谷由実さんは3月〜5月はパニックになったり、
モチベーションの完全に喪失してしまった時期でした。

音楽は不要不急のものなのかという周りの声もあったのですが、
そのことに関してはあまり考えなかったといいます。

あくまでも、自分にとってどうなのかという問題だったからです。

6月頃にアルバムをつくるとなったときに、松任谷由実さん自身にも
そして世の中的にも音楽は必要
だと思えるようになりました。

アルバム作成をするにあたり、松任谷由実さんは
CDライブラリーをつくりました。

Aからはじまって、Zまで。

 

「好きなアーティストをアルファベット順に教えてください」

 

と言われた松任谷由実さんは、

 

「これはしらみつぶしにもう1回聴いてみよう」

 

と思いたち、最初のAから聴き始めました。

 

ちなみに…Lまでいったところで作業は一旦ストップ。

なぜなら、アルバム制作が本格的に始まったからです。

Lまでいったとのことですが、まだまだ、先は長いです…。
だいぶありますよ。

 

松任谷由実さんは、その作業をしながら、
気づいたことをノートに記録していました。

坂本美雨さんは、その事実にすごい!と驚かれていましたが…

 

それでも、松任谷由実さん自身はまだ落ち込んでいる最中。

外にもろくに出られないし、ライブもできない状態に
強制的になってしまいましたからね。

モチベーションが全くない中でも、車の運転のように
無意識に家のことはやっていたというから、驚きです…。

CDライブラリーの曲は、1度は聴いているのですが
歌詞もチェックして改めて聴いたとか。

ちなみに、Mのアーティストはとても多かったので
それにくじけたのも、アルバム制作に向かわせるきっかけ
になりました。

M以降のアーティストの曲、なんだか聞いてみたくなりますね。

 

松任谷由実の初恋の相手はどんな人?

 

 

森永乳業カフェトーク。ここからはゲストの方にもっと
リラックスしていただこうというコーナーです。

 

松任谷由実さんへの質問はコチラ!

 

初恋の相手はどんな人ですか?

 

幼稚園のとき、という無難な初恋ではないとすると…

松任谷由実さんが、13歳のとき

松任谷由実さんには、とても憧れていたミュージシャンがいました。

その方はベーシストで、中国人。
しかも5ヶ国語を話せて、手足が長い。

当時、とてもモテたと思います。

その人のいるバンドの追っかけをしたのが、
松任谷由実さんがデビューしたきっかけにもなりました。

松任谷由実さんが13歳のとき、
そのベーシストの方は21歳ぐらい。

そのバンドの追っかけをして、音楽の現場に
松任谷由実さんは飛び込んでいきます。

当時、新宿や銀座などのジャズ喫茶
2つのバンドが出演していました。

松任谷由実さんはそこを目掛けて見に行ったんですね。

松任谷由実さんの実家は米軍基地の比較的近くにありました。
子供の頃から、基地の中の家族と親しかったんですね。

日曜日ごとにそこに行くと、ピーエックスという
スーパーマーケットが基地の中にあったのですが、
そこに連れて行ってくれる
んです。

今では考えられないことですよね。

そして、そのスーパーマーケットにあるレコード売り場に
ロックのレコードがきらぼしの如く並べられていました

これはロック全盛期である1967、1968年のこと。

日本にまだ入っていないようなものを、
その初恋の人にプレゼントした、なんてことも…。

憧れの方と話すようになり、そういうレコードを
手渡ししていたんですね。

その方が、今でも松任谷由実さんのことについての
取材を受けたりすることもあるそうです。

ちなみに…

 

“ゆーみんの初恋の人”と検索すると
シー・ユー・チェンというお名前が出てきます。

松任谷由実さんは、その方とフィアンセの女性と3人で
よく散歩したなんてこともあるのだとか。

その方が所属していたバンドは、フィンガーズ
このバンドはわりとすぐ解散してしまいました。

高橋幸宏さんのお兄さんがバンマスだったという
驚きの事実も…。

松任谷由実さんが憧れていた方が、松任谷由実さんのことを
最初に”ゆーみん”と呼んでくれたので、それがそのまま
ニックネームとして定着していったというわけなんです。

 

フィンガーズはインタースクールに通っていた人や
慶応大学に通っていた、いわゆるお坊ちゃんバンド

松任谷由実さんがつくったオープンリール
(小さいカセットテープ)のデモテープを渡したら…

 

面白いじゃない

 

と言われ、そのデモテープは村井邦彦さんのところへ。

さらに川添象郎さんなどのプロのところにもデモテープが回り、
タイガースという解散したばかりのグループに所属していた
川橋かつみさんのシングルに起用

これが、作家デビュー、作曲家デビューのきっかけです。
それが、松任谷由実さん14歳のとき

信じられないほど、素晴らしい経歴…。
何気ない質問から、こんな貴重なエピソードまで聞けましたね。

14歳で作曲家としてもデビューするとは…
なかなか、想像もつきません…。

 

そんな驚愕の経歴を持つ松任谷由実さんの最新アルバム
「深海の街」、みなさんもぜひ聴いてみてください!

 

 

次回も、松任谷由実さんをゲストに「深海の街」について
詳しくお届けします!

 

詳しくはコチラでチェック!↓

 

松任谷由実オフィシャルサイト

 

 

 

 

 

 

次回もお楽しみに…♪

 

 

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