一人旅が1冊の本に!なぜビビる大木は幕末に魅了されたのか

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みなさん、こんばんは。
愛原 夢音です♪

今月発売されたばかりのビビる大木さんの著書
「ビビる大木の幕末ひとり旅」についての話から、
スター勢揃いの幕末の魅力についてたっぷりとお届けします!

 

 

どうぞ、最後までお付き合いください!

 










なぜビビる大木は幕末に魅了されたのか?

 

 

ビビる大木さんの著書「ビビる大木の幕末ひとり旅」、
みなさんもう読みましたか?

 

今回は、この著書を中心に話を進めていきます。

この本は、タイトルにもあるように
幕末をテーマとして書かれたものです。

ビビる大木さんが、幕末に魅力を感じるようになった
きっかけとは何だったのでしょうか?

それは、ある人物との出会いです。

 



“戦わない”幕末の人々の生き方

 

 

 

ある人物というのは、吉田松陰

 

「吉田松陰って誰?」
「名前は聞いたことあるけど、どんなことをした人?」

 

と、思う方もいらっしゃると思います。

 

吉田松陰について、簡単にご説明しますと…

 

吉田松陰は、初代内閣総理大臣となる伊藤博文の先生です。

10代の頃に、吉田松陰は家でやっているような塾を開いていました。
いわゆる、思想家です。

吉田松陰は、自宅で塾を開いていました。しかも、月謝無しで

無料で”みんなで勉強しよう!”と言って身分や職業関係なく、
学びたい人が集まる活動をしていた
のが、吉田松陰なんです。

ちなみに、当時は江戸時代ですから学校には
武士の子供しか行くことができません。

庶民や農民の子どもたちは学校に行くことができない時代、
このような塾はその子どもたちの憩いの場ともなっていました。

幕末の人々は、一体何をしていたのか

“それを知りたかった”と、ビビる大木さん。

坂本龍馬や西郷隆盛は、みなさんもよく聞いたことがあると思います。

大河ドラマや映画で見る機会もありますよね。

でも、吉田松陰は坂本龍馬や西郷隆盛とは違って刀や戦争で
“国を良くしよう!”と突っ走っていたわけではありません。

どちらかというと、坂本龍馬や西郷隆盛の
真逆の道を進んでいる人でした。

当時は幕末。

徳川幕府と明治政府が対立して戦いを起こしていましたから、
戦わない人たちがいたんだ!“とビビる大木さんは驚きます。

それから、幕末の人々の生き方に興味を持ったということなんですね。

 



プライベート旅行が1冊の本に

 

 

今月6日に発売された「ビビる大木の幕末ひとり旅」。

これは幕末に活躍した人物の中で、ビビる大木さんが
興味を惹かれた人物を辿っていくドキュメンタリー
です。

ビビる大木さんが幕末の歴史に興味を持ったのが、2003年。

それから本を読んだり調べたりしていたのですが、
そのあまりの多さに”現地に行かないと間に合わない”と思うように。

そして、ビビる大木さんはプライベートでひとり旅へ。

多くの史跡を訪れた記録が、17年の時を経て1冊の本になりました。
これは、あくまでも”きっかけを頂いた”ということ。

記録するため、本にするためにでかけていたわけではない
ということなんです。

あくまでも、プライベートのひとり旅です。
プライベート旅行が本になったということですね。

 

ビビる大木さんは旅行の際、メモ帳や手帳を持っていったといいます。

たとえば、山口県に行った場合。

その日の夜、旅館の部屋についてから昼間見たものを
忘れないうちに手帳に書き留めておく。

 

「今日は〇〇に行った」
「〇〇のお墓があった」

 

などなど…。

 

訪れた場所や出来事をたまたま書いていたそうで、
それが著書を出す上でもとても役に立っています。

 

 

 



ジョン万次郎の人生から探る生き方のヒント

 

 

幕末の中でビビる大木さんが1番共感する人、
みなさん誰かわかりますか?

 

それは…

 

 

 

ジョン万次郎です!

 

 

なぜ、ビビる大木さんがジョン万次郎の名前を挙げたのか。
それには、理由があります。

ビビる大木さんは、ジョン万次郎の生き方に
”ヒントがありそう”だと感じた
からです。

ビビる大木さん、実は高知県にあるジョン万次郎資料館の
名誉館長を務めています。

ジョン万次郎は、坂本龍馬や西郷隆盛のように武士ではありません。
ジョン万次郎は、庶民の家に生まれました。

父親が働けなくなったことを契機に、10歳から
漁師見習いとして働くような少年でした。

14歳になったジョン万次郎は、一人前の漁師になるために
大人5人と一緒に漁に行くことに。

ところが、その船が遭難。船は無人島に辿り着きます。

助けが来るのを待っていたとき、アメリカの船が通りかかります。

アメリカの船に助けてもらおうと考えていた
ジョン万次郎たちですが、ここで一つ大きな壁が立ちはだかります。

それが、鎖国という壁です。

みなさんもご存知の通り、
江戸時代の日本は鎖国をしていました。

交易をするには、必ず長崎の出島を通さなくてはなりません。
これは、絶対です。

勝手に日本人がものを売ったりすることも、禁止されていました。
交流をしてはいけなかったんです。

アメリカ側も助けたいのですが、先程も述べたように
必ず長崎の出島を通さなくてはなりません。

日本と交易のない国との交流はできない。
そうなると、アメリカ側は助けたくても助けられない。

そんな状況でした。

通りかかったアメリカの船は、ハワイに行ってアメリカに戻る途中。
日本には戻れないけれども、それでもいいなら助ける。

その言葉に、ジョン万次郎も含めた船員たちは
“お願いします”と頭を下げてハワイに連れて行ってもらうことに。

5人のうち4人は、ハワイで船を降りました。

残りの一人、ジョン万次郎は助けてもらった
アメリカ船の船長に気に入られて

 

お前は仕事ができるから、教育を受けさせてやる

 

と、アメリカ本土のマサチューセッツ州の学校で教育を受けました。

 

船長のポケットマネーで、万次郎という日本の少年を
実費で学校に通わせた
んです。

測量と海の学校をトップで卒業するほどのレベルまで成長。
そして、そこで捕鯨船の漁師になります。

地球を2周するほど世界中を回っていたジョン万次郎ですが、
日本に帰りたいと思うように。

その10年後に、ジョン万次郎は日本に帰りました。

 

ジョン万次郎のジョンの由来は、ジョン万次郎たちを助けてくれた
アメリカ船、ジョンハウランド号から名付けられたものだそうです。

 

ちなみに、ジョン万次郎が日本に帰ってきたのは、
黒船ペリーが来航する2年前
でした。

 

黒船が来る前に、ジョン万次郎は何十年もの間
アメリカで暮らして世界中を回っていたすごい日本人
なんです!

 

かっこいいですよね!

 

坂本龍馬や西郷隆盛のように「日本をよくしよう!」と戦うのではなく、

本人にその気がないのに漁師になって働いていたら、
船が遭難して気がついたらアメリカにいた。

そして、そこで暮らすしかないから学校で学ばせてもらった。

そうしていくうちに、英語や世界を見て。

そんなジョン万次郎が日本に帰ってくると、
開国する前の日本ですからとてつもない影響力がありました。

狙った人生とか、立身出世を試みた人ではない。

でも、流された先でどんどん大きな存在になっていった
それが、ジョン万次郎の人生です。

 

どうですか、みなさん。

幕末に生きた人たちの人生ドラマ、もっと知りたくなってきませんか?

ビビる大木さんは、
まさにこの人生ドラマに強く惹かれたんです。

 

「でも、それって幕末の話でしょ?
私たちの今の生活に何も関係ないじゃん」

 

と思っているそこのあなた!

 

実は、私たちの生活はジョン万次郎の恩恵を受けていると
いっても過言ではありません。

 

関係ないどころか、私たちの生活に深く関係しています

 

大アリです!

 

ABCの歌って、ありますよね?

 

あの歌を歌に持ち込んだのが、ジョン万次郎です。

 

しかも!

 

日本初の英語の教科書も、ジョン万次郎がつくっています

 

ね、大ありでしょ?

 

知らないだけで、私たちにつながるようなことを
しているジョン万次郎。

 

「そんな面白い人生を歩んでいたのか!」と、
坂本美雨さんも思わず声を上げました。

政治に左右されずに生きてきた、ジョン万次郎。

みなさんもぜひ、
ジョン万次郎について調べてみてはいかがでしょうか。

 

こうして、人を知っていくと興味が湧きますよね。

 

幕末に関しては、その人が何をしていたのかに興味を持って
調べていた
というビビる大木さん。

名前は知らなくても、すごいことをしている人は
幕末や明治維新でたくさんいるのだそう。

それも調べてみると、興味深い発見につながるかもしれません。

 

 



ビビる大木が語る、華やかなスターとのエピソード

 

 

ここからは、ゲストの方のプライベートな部分を
少し覗いてみよう!というコーナー「拝啓、なじみたち」です。

 

ビビる大木さんへの質問はこちら!

 

好きな芸能人は?

 

シンプルな質問ですね。

 

ビビる大木さんは、もう亡くなってしまった華やかなスターの
方々とお会いする機会があったそうです。

渡哲也さん、大滝詠一さんなど。

ビビる大木さんは、大滝詠一さんに会ったとき
“一生忘れない”と思った
そうです。

会えると思っていなかったので、その喜びもひとしお。

これは、ビビる大木さんの自慢なのだとか。

プロレス好きなビビる大木さんは、アントニオ猪木さんに
初めて会ったとき、とても嬉しかったといいます。

その当時、ビビる大木さんはまだ若手でした。

テレビの収録の前には、若手芸人が観客を
盛り上げる”前説”という仕事があります。

盛り上げたところで、「本番にいきまーす!」と声がかかり、
司会者が登場するという流れです。

ビビる大木さんは、当時前説をしていました。

ある日、ゲストにアントニオ猪木さんが来たときのことを
ビビる大木さんはこう語っています。

 

「たまたま、アントニオ猪木さんと二人きりになったんですよ。
“猪木さん、前説やりましたビビる大木です。
よろしくお願いします”って。

二人きりなのに、”プロレス大好きです、猪木さん!”って言ったら、
二人の空間で引っパタいて、”バカヤロー!”って。

あれは嬉しかったですね。

カメラも回っていない、二人きりのところでやってくれて。

あれは嬉しかったです。

こんな見ず知らずの人をひっぱたいてくれるんだなって。笑」

 

この体験は、今でもビビる大木さんの宝物となっています。

 

 



武田鉄矢なしに幕末は語れない?

 

 

さあ、前半は幕末についてお伝えしてきましたが…

ここで、ビビる大木さんがリクエストした曲を
ご紹介していきたいと思います。

歴史の話をここまでしてきたということで、
歴史と関係のある曲をセレクトすることに。

幕末というと、武田鉄矢さんの存在は外せない“と、
ビビる大木さん。

呼び方はそれぞれですが、坂本龍馬のことを龍馬と
呼ぶ人も多いと思います。

ですが、武田鉄矢さんは違います。
武田鉄矢さんは、坂本龍馬のことを坂本と呼んでいるんです。

坂本、ですよ?

ビビる大木さんは、最初誰のことを話しているのかわかりませんでした。

同級生の話をしているのかと思いきや…
坂本龍馬のことを、坂本と言っていたんです。

武田鉄矢さんにとっては、
それぐらい坂本龍馬は身近な存在

というのも、武田鉄矢さんは80年代にドラマと映画で
坂本龍馬を演じていた
からです。

 



吉田拓郎がまさかのアフロで映画に出演

 

 

坂本龍馬を演じた武田鉄矢さんが出演していた映画の主題歌が、
吉田拓郎さんの「ジャスト・ア・RONIN」です。

その映画には高杉晋作という幕末志士が登場するのですが、
その高杉晋作を演じているのが吉田拓郎さん。

しかも、吉田拓郎さんはアフロのまま映画に出てきます

 

「えっ、アフロのままってどういうこと!?」

 

と、思いますよね?

どうして吉田拓郎さんが、アフロで映画に出たのか。

それは、武田鉄矢さんが吉田拓郎さんに映画に
出てほしかったからです。

吉田拓郎さんに映画に出てほしいと思った武田鉄矢さんは、
吉田拓郎さん行きつけの原宿のお店に行って直談判に行きました。

江戸時代という設定ですから、ちょんまげが当たり前の時代です。
それ以外は、考えられない。

それなのに、吉田拓郎さんからはこんな言葉が返ってきました。

 

アフロならいいぞ

 

なんと!

 

江戸時代という設定に、まさかのアフロ!

 

前代未聞です…。

 

 

でも、吉田拓郎さんが映画に出るにはこの条件を飲むしかない。

 

それを聞いた武田鉄矢さんは、

 

「アフロでいいです!」

 

 

と、快諾。

 

 

そんな思い出も詰まった映画、「幕末青春グラフティ坂本龍馬RONIN」。

 

少しややこしいのですが、坂本龍馬は脱藩してしまいます。
いわゆる、浪人ですね。

その映画の主題歌となった「ジャスト・ア・RONIN」という曲。

ビビる大木さんが”熱い曲”と推すこの曲を、
ぜひ聴いてみてくださいね!

 

 

 

 



幕末の悲しい記憶が残る東北

 

 

ビビる大木さんの著書「ビビる大木の幕末一人旅」について
ここまでお伝えしてきましたが…

ビビる大木さんがこれから行きたい場所は、どこなのでしょうか?

ビビる大木さんが次に行きたい場所は、東北です。

東北には、幕末の悲しい歴史が実は多いって
みなさんご存知でしたか?

幕末では、日本は二分されていました。
徳川軍と明治政府が戦っていたからです。

徳川軍は倒されてしまうのですが、

 

「お前ら、徳川の軍だよな?お前らはもう崩壊したんだから」

 

と、酷い仕打ちを受けてきた過去があります。

 

それを、ずっと堪えてきた。

 

そんなつらい歴史が、東北にはあります。

 

そういうのも辿らなきゃいけない“と、
ビビる大木さんは考えています。

いろいろなドラマがある、ということなんですね。

当時の薩摩、長州。

今でいう鹿児島県と山口県が連合軍を組んで、
いろいろなところに声をかけて福島(当時は会津)と
戦争になったりもしました。

そういう因縁があって、山口県・鹿児島の人と福島県の人は
犬猿の仲だったそうです。

その中の悪さは今もなお、残っています

 

高齢の方になると、

 

「あそこは嫌いだ」

 

 

という方が、福島県には今でもいるようです。

 

 



“薩摩、長州が会津を助けた”新しい歴史が作られた瞬間

 

 

ですが、それを一変させる出来事が起こります。

2011年に起こった、東日本大震災です。

東日本大震災が起きたときに、山口県・鹿児島県が福島県を支援

これはまさに、”薩摩、長州がようやく会津を助けてくれた
という新たな歴史がつくられた瞬間でした。

現代は現代で、問題を解決していきましょうということなんですね。

そういう意味でも、歴史は今もずっと続いている
いうことがわかります。

そう考えると、歴史がグッと身近になると思いませんか?

ちなみに、坂本美雨さんのお母様、矢野顕子さんの方の家系には
会津藩で白虎隊の教育係だった方がいたそうです…!

ファミリーヒストリーで、矢野顕子さんが出演したときに
調べてもらい判明したのだそう。

坂本家、すごすぎる…。

“自分の血とも関係あることだから、興味はある”と坂本美雨さん。

もしかしたら、娘さんと幕末巡りの旅に出かける日が
来るかもしれませんね。

結局、日本史は自分にもつながってくる“と話す、ビビる大木さん。

史跡は各地にあるので、みなさんにもぜひ行ってほしいですね。

コロナが収束したら、私も幕末巡りしてみようと思います。

 

\最後に、ビビる大木さんからのお知らせです!/

 

ビビる大木さんの新刊「ビビる大木の幕末ひとり旅」は、
現在敬文舎から発売中です!

 

歴史に疎い坂本美雨さんでも、興味を惹かれた1冊。
とてもワクワクする本なので、ぜひ手にとってみてください。

 

ビビる大木さんの今後の予定などは、
オフィシャルサイトをチェックしてみてください!

 

 

 










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