「夏が来た気がしない」夏に欠かせない関西フード”べっぴん鱧”とは

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みなさん、こんばんは。
愛原 夢音です♪

 

西山美食話から、美味しいトークエッセイをお届けしていきます。

 

どうぞ、最後までお付き合いください!

 

 










Contents

全国初の試み「夕張メロン専用の航空便」

 

 

 

全国区で知られる夕張メロン。

その夕張メロンを専用で運ぶ新千歳羽田線の航空機の運用が始まっています

6月上旬から8月上旬までの間、月曜から木曜の週4回、1日1便を運行。

これまで日持ちのしない夕張メロンはトラックによる冷蔵便と
人を乗せた旅客機で運んていましたが、貨物専用しかも夕張メロンだけを運ぶのは初めての試みです。

コロナ禍で旅客需要が減った航空機の新たな活用策の一環なんですね。

まずは早朝に夕張メロンを収穫。
箱詰めされたメロンがコンテナに積み込まれ、夕張を出発。

新千歳空港に到着後、すぐに航空機に運ばれます。

そして羽田空港に到着したメロンは、首都圏を中心とした卸売市場へ。
一部はギフトとして個人宅に運ばれるという流れです。

コロナ禍では企業や組織も創意工夫が求められます。

航空機は1機、お客様は夕張メロンというのも売り主である
夕張市農協と航空会社双方にとってメリットのある取り組み。

こんなふうにアイデアを出し合い、この苦境を乗り切っていきたいものです。

 

 

 

豆腐は庶民の食べ物ではなかった?

 

 

 

暑くなってきました。冷奴が美味しい季節です。

かつては近所にお豆腐屋さんがあって、朝ごはん用にお鍋をもって
お豆腐一丁を買いに行くのは子どもたちの役目でした

 

「そうそう、懐かしい」

 

という方、

 

「えっ、そんな時代があったの!?」

 

と驚かれた方。

 

 

すでに後者の方が多いのでしょうか?

 

豆腐は中国で生まれ、日本には奈良時代に遣唐使が伝えたといわれています。
当初は貴族や僧侶の食べ物で、庶民がよく食べるようになったのは江戸時代から

北海道開拓の際にも、札幌の人口が増えるにつれお豆腐屋さんも増加。
札幌豆腐商組合が発足したのは1901年、明治34年のことでした。

豆腐は日持ちがしないため、当時はその日のうちに売り歩かなければならず販売合戦が熾烈に。
組合の意義は、販売エリアを決めたり価格競争をなくしたりすることにあったんですね。

当時の木綿豆腐は、どこも手作り

前日から水につけておいた大豆を石うすですりつぶし、大釜で煮て布の袋に入れてしぼり
豆乳とおからに分けたのち、豆乳ににがりを加え固まったら型に入れ、
おもしをのせて水を切り出来上がりです。

お豆腐屋さんが早起きだったのは、
これほど手間のかかる作業をこなさなければならなかったから。

今では機械化され、量販体制が整ったメーカーが台頭。
近所のお豆腐屋さんが次々と姿を消していきました。

60年前、道内には2000件以上ものお豆腐屋さんがあったのですが
2019年には200件弱にまで減ってしまった
そうです。

北海道は、国産大豆の4割を生産する全国一の産地です。

2018年には、豆腐用の新品種「とよまどか」も開発されました。
従来の品種より加工しやすく、甘みもたっぷり

スーパーに行くと北海道産大豆使用と書かれたお豆腐もありますし、
それぞれの地域で手づくりにこだわって頑張っているお豆腐屋さんも存在します。

大豆をつくる農家さん、そして地域に根ざしたお豆腐屋さんを食べて応援したいものです。

 

 

 





 

 

 

 

 

ダイソン社の家電はなぜ人々を驚かせるのか

 

 

 

暑い日に活躍してくれる扇風機。

2009年に初めて姿を現した新しい発想の扇風機は、世界の人々に衝撃を与えました。
そう、あの羽のないダイソンの扇風機です。

ところで、ダイソンという名称が創業者でもあり発明家でもある
ジェームス・ダイソン氏の名前に由来していることをご存知ですか?

ジェームス・ダイソン氏は1947年にイギリス、ノーフォーク州で生まれました。

彼はロンドンのマイアムショーアートスクールで絵画を学んでいましたが、
違う分野も勉強したいと英国王立美術学校に入学。

建築を専攻したものの船舶工学に興味を持つようになり、在学中に
ほうそくの上陸用舟艇シートラックを開発しました。

これが契機となってエンジニアリングへの情熱を高め、
以来家電分野の制作にチャレンジすることとなります。

ダイソン社の世界中をあっと言わせた製品、並びにそのデザイン性は
彼のアートへの深い造詣に根ざした
ものだったんですね。

また、こんなエピソードもあります。

ある日、彼は日本をはじめとするアジアのユーザーの声を聞きました。

それは、昼間はさほど気にならないが夜寝るときには運転音が気になるというもの。

イギリスは、日中暑くても夜には扇風機がいらないような気候です。

それゆえアジア系ユーザーの不満に驚くとともに
次なる目標と定め、エンジニアチームを立ち上げたそうです。

音そのものの徹底的な研究のため、イギリス本社に半無音教室をつくり
緻密な分析とテストを繰り返します。

こうしてパワフルな風を生み出し、より静かでよりエネルギー効率も良い扇風機が完成。
この研究開発には、5年もの月日を要したといいます。

ジェームズ・ダイソン氏は、こんなことを言っています。

 

「エジソンにはかなわないけれど、私は常に失敗している。他の道を知らないからだ」と。

 

彼の発明家としての人生を思えば、まさに説得力がある言葉です。

 

 

 





「食べないと夏が来た気がしない」滋養豊かな”ぺっぴん鱧”

 

 

 

 

土用の丑の日にうなぎを食べるのと同時に、関西では夏に欠かせない食材があります。

うなぎと同類の、滋養豊かな鱧(はも)です。

京都の祇園祭、大阪の天神祭といった夏祭りのごちそうとして、
鱧は関西の食文化にしっかりと根を下ろしているんですね。

鱧の語源は、食(は)む。
鋭い歯で何度も食むから、という説が有力です。

食材としての歴史は古く、縄文時代の貝塚からも骨が見つかっています
魚の中でも骨の多さは追随を許さず、およそ3500本といわれています。

江戸中期までに小骨を細かく切る手法が生まれ、
江戸後期に刊行された料理本には数多くの調理法が紹介されています。

湯引き、天ぷら、タレ焼きなどが定番ですが、今ではフレンチやイタリアンのシェフが
鱧の創作料理をいろいろ考案しているのだそう。

美味しい鱧が取れるのが、兵庫県に位置する淡路島の南沖あたりです。

紀淡海峡となると海峡の真ん中で塩が適度に回り、えさとなる小魚や甲殻類が豊富。
しかもこのあたりは、すみかの海底も岩場ではなく泥なので皮も薄くて柔らかいのだとか。

このあたりで育つ鱧は昔から、”べっぴん鱧”と呼ばれています。

江戸時代、生命力の強いべっぴん鱧は生きたまま淡路島から大阪へ、
そして京都へと運ばれたそうです。

つゆの水を飲んで美味しくなるといわれるほど、この時期の鱧は
産卵期を前に脂がのり、上品な旨味が増すのだといいます。

海外からの輸入や国産鱧が多く流通している現在も、べっぴん鱧は天下一品。
その高い評価に変わりはありません。

鱧を食べないと、夏が来た気がしない。
そう、関西の方はいいます。

 

みなさんも機会があれば、ぜひ召し上がってみてください。

 

 








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