未来を予想するのではなく、好きなことを続けていく WEAVER河邊徹の新たなる挑戦

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みなさん、こんばんは。
愛原 夢音です♪

今回は、ドリームハートから。

ゲストは、前回に引き続き3ピース・ピアノロックバンド
WEAVERのドラマー、河邊徹さんです。

河邊徹さんは小説家としてもご活躍中ですが、
WEAVERとしては今年デビュー10周年を迎えられました。

10年を歩み続けた音楽活動を振り返って今、
どんなことを思うのか。

その心境について伺っていきます。

そして、河邊徹さんの今後の夢ややりたいことに
ついてもお聞きします!

さて、河邊徹さんの夢とは、一体何なのでしょうか。
最後までお見逃しなく!

 

本題に入る前に、河邊徹さんのプロフィールを
改めてご紹介していきます。

河邊徹さんは、1988年、兵庫県出身。

関西大学院大学文学部文化歴史学科、
哲学倫理学専修を卒業されています。

そして、ピアノ、ドラム、ベースの3ピースロックバンド
WEAVERのドラマーとして2009年10月に
「白朝夢」でメジャーデビュー。

河邊徹さんはバンドで、
作詞も担当していらっしゃいます。

また、バンド活動の他には2018年に
小説家デビュー作となる「夢工場ラムレス」を刊行され、
2019年には2作目となる「流星コーリング」を、
そして今回3作目となる「アルヒのシンギュラリティ」を
発表され、作家としても精力的に活動されています。

 

Contents

「アルヒのシンギュラリティ」で描いた世界

 

 

前回は「アルヒのシンギュラリティ」についてお伝えしました。

タイトルにもなっているシンギュラリティは、
人間の能力をも越えてしまうということを指します。

河邊徹さんがこの物語で伝えたいことは
哲学的なことやSFのことだけではなくて、
物語の面白さをとにかく伝えたかったということなんです。

哲学的なこと、それからSFについてはあまり
書かなくてもいいと思っていて、その代わりに
コア”という形で物語では説明をしています。

それぞれのロボットにはコアというものが入っていて、
そのコアがあるから人間と同じように
意思を持って動くことができる

そんな世界を、河邊徹さんは描きました。

そして、そのコアが小説の最後の最後まで
重要な役割
を担っています。

詳しくは、みなさん、ぜひ「アルヒのシンギュラリティ」を
読んで確かめてみてくださいね!

 

河邊徹のクリエイティブ的持論「自分にしか書けないものを書く」

 

 

さて、河邊徹さんは何作ぐらい構想があるのでしょうか?

構想だけでいうとたくさんある、と河邊徹さん。
今まで出版しているのは3作品ですが、
5つ目、6つ目までは書きたいと考えているようです。

ミュージシャンなので、
ミュージシャンの話を書くという構想も。

もしかしたら、近いうちにミュージシャンの
お話も小説になるかも…。

 

楽しみですね!

 

自分しか書けないものって何だろう」。

 

そう考えると、どうしても自分の職業のことをしっかりと
書いてみたいという気持ちになったそうです。

 

WEAVERのメンバーに河邊徹が加入したのは偶然だった!?かなり変わった活動の経緯

 

 

ちなみに…茂木健一郎さんによると、ビートルズが
バンドとして完成したのが、リンゴ・スターがドラムスで
来たときに、ジョン・レノンが「これで完成したね」と
言ったという風の噂が…。

 

「WEAVERも河邊徹さんがドラムで
決まりだとなったのでは?」

 

との質問に、

WEAVERでドラムを担当するまでには
かなり変わった成り行きがあった、と河邊徹さんは答えます。

 

これは一体、どういうことなのでしょうか?

 

WEAVERのメンバーと出会ったのは、
河邊徹さんが高校生のとき

当時、河邊徹さんは高校1年生でした。

WEAVERの3人は高校1年生のときに出会ったそうです。
それぞれ、中学生のときに楽器を習っていたようで
たまたま高校1年生のときに、同じクラスになったんですね。

WEAVERの2人はバンドを結成しようという話になったのですが…

河邊徹さんは、たまたまWEAVERのメンバーの1人に
ドラムできひん?」と声をかけられたそうです。

このとき、河邊徹さんは高校に入学したばかり
入学してたった2日で、そう声をかけられたんです。

河邊徹さんはたまたまドラムをやっていたので、

「できるで」

 

と言ったところ、WEAVERのメンバーになった…という
かなり変わった成り行きでWEAVERは結成されました。

 

WEAVERのメンバーは、神戸高校出身。
名門、神戸高校としてはかなり変わった経緯です。

高校で出会ってからWEAVERのメンバーとは、
もう10年以上も縁がつながっているといいます。

名門、神戸高校と先程言いましたが…
神戸高校は、地元では名門の高校なんです。

そんな神戸高校1年生の河邊徹さんが、
WEAVERのメンバーの目に留まったんですね。

バンドをやっているというのは、
神戸高校ではなかなか見ないことでした。

ですが、河邊徹さんはWEAVERのメンバーになった。

それが今まで続いているということですから、
本当に素晴らしい出会いですよね。

 

そのあたりから始まる小説も、読んでみたい気がします。

 

自叙伝も書けたらいいな…と話す、河邊徹さん。
現在は、いろいろと模索している最中のようです。

 

リードギターのいない3ピースロックバンド その珍しさが注目を浴びるきっかけに

 

 

WEAVERは3ピースロックバンドで、いわゆる
リードギターがいないバンドです。

本当に、ピアノとベースとドラムだけなんです。

河邊徹さん含め、WEAVERのメンバーが10代の頃に
よく聞いていたのがBUMP OF CHICKEN

当時は、ツインギターのバンドが世の中を席巻していた時代。

最初はWEAVERもツインギターでのバンド活動も
していたのですが、メンバーが抜けてボーカルが
ギターからピアノに
なりました。

そういうわけで、ピアノ、ドラム、ベースの
3ピースバンドになったんです。

当時の河邊徹さんは”まさかピアノのバンドが世の中に
出ることはないだろう
”と疑いながらも活動を続けていました。

ですが当時、地元のライブハウスの方が

 

「3ピースのバンドはいないから、
逆にそれが個性になっていいよ

 

との言葉に背中を押され、活動を続けていました。

このときも、河邊徹さんの半信半疑の気持ちは
なかなか消えませんでした。

ところが、ピアノ、ベース、ドラムのバンドが
数少ないこともあり、徐々に注目される機会が増えてきました

 

珍しいというのは強みになる

 

そう思い自信をつけた河邊徹さんは、WEAVERの
メンバーとともにバンド活動を継続。

そして、今に至ります。

 

高校ではバンド活動できなかった!?その理由とは

 

 

名門校として知られる神戸高校では、なかなか
ライブ活動をさせてもらえませんでした。

本当は文化祭などでライブをして
目立ちたかったそうですが、
全くライブをさせてもらえなかったんです。

 

その理由というのが…

 

アンプが危ないから。

 

アンプが危ない、ということを理由に
全くライブをさせてもらえなかったんです。

 

「その結果地元である神戸のライブハウスに
出ることになったので、逆に高校での”縛り”が
良かったのかもしれない

 

と、当時を振り返る河邊徹さん。

 

学校ではできなかったからこそ、ライブハウスという
外の世界でたくさんの人に見てもらえるきっかけが
できたことは、ある意味ラッキーだったのかもしれませんね。

 

生まれ育った神戸に音楽で恩返しを

 

 

神戸で育ったということは、今の音楽活動に
影響を与えているのでしょうか?

 

河邊徹さん曰く、

 

「東京出身のバンドの垢抜けた人たちを見ると、
10年も東京にいる僕たちWEAVERは、まだまだ
田舎な人なんじゃないかな、と思うこともある」。

 

根本的にコンプレックスがあるかもしれない、と
話す河邊徹さん。

東京生まれ東京育ちの人のバンドを見ていると、
自分たちとは全く違うと感じるといいます。

 

「僕らのちょっとした田舎くささも含めて
親近感を持ってもらえたら嬉しい」

 

と、河邊徹さんは話します。

 

神戸はとても綺麗な街。

 

今でもライブをしに何度か神戸に帰ることもあるそうで、
自分たちが生まれ育った街に恩返しできれば、と
河邊徹さんは考えています。

やっぱり、誰にとっても生まれ故郷や
生まれ育った街って、特別ですよね。

 

メジャーデビューは不思議なほど順調に

 

 

メジャーデビューして最初の曲はとても好評でした。
デビュー後は、不思議なくらい順調に進んだとか。

 

河邊徹さん自身も、何が何だかわからないうちに
急にドラマやCMの主題歌に選ばれたり
世の中でWEAVERの曲が流れていることに
驚きを隠せずにいました。

実態のないものが膨らんでいっているような
不思議な感覚があったといいます。

それから、10年が経過。

やっと地に足をつけて、目の前の人に音楽を
しっかりと届けられるようになりました。

その繰り返しで、音楽というものは広まっていく。

ちゃんと目の前にいる人を大事にして、
好きになってもらう

その積み重ねが大切だということを、
今も強く感じているとのこと。

音楽だけでなく、勉強でも仕事でも、夢を叶えるまでの
道のりでも、積み重ねというのはとても大切なことですよね。

 

ロンドンでの暮らしに立ちはだかる度重なる試練

 

 

WEAVERのメンバー、実は5、6年前に留学という形で
ロンドンに暮らしてみようということに。

一緒にいると日本語を話してしまうので、
3人とも別々に暮らしたのだそう。

 

意外ですよね?別々だったんですよ。

 

河邊徹さんはフランス人やイタリア人など、
いろんな人がいる家で暮らしました。

そこで得たものを日本に持って帰り、
音楽活動に生かそうと思っていたのですが…

 

ここで、重大な問題が発生

 

初めての海外暮らし、

 

生きるのが大変だった!!

 

生きるということで精一杯の状態。

当時は英語を話すこともままならなかった状態で
ロンドンに行ったので…会話もろくにできません

さらに試練は続きます

会話ができないので、スーパーで何か買うのでさえも一苦労

 

どこに何があるのかも分からず、店員に聞こうとしても
会話ができませんからね…。

そんな試練だらけの生活の中で、河邊徹さんは
生きるということの大変さを学ぶのと同時に、
精神的にかなり鍛えられたようです。

 

河邊徹が驚愕した、日本と海外の音楽の違い

 

 

そして、河邊徹さんは日本と海外との
音楽の違い
も目の当たりにすることになります。

ロンドンで活動するアーティストとスタジオに入り、
ドラマーに直接教えてもらった河邊徹さんは、
日本と海外のドラムの叩き方のあまりの違いに
驚愕したといいます。

 

日本では、力を抜いてドラムを叩くことを
教えられたのですが、一方のロンドンでは…

 

「harder,harder,stronger!」

 

と、とにかく力強くドラムを叩くことを
教え込まれました。

 

日本とは、まるで正反対ですよね。

 

「今まで教わってきたことは、一体何だったんだ」

 

と思ってしまうほど、
全く違った考え方だったんですね。

 

そのロンドンでの経験によって、河邊徹さんの
”ドラム感”がガラリと変わりました

日本に帰ってからも、この経験は
バンド活動にも活かされています。

もちろん力を抜くことも大事なことですが、
しっかりと力を込めて1つ1つの音を太く鳴らす

そのことがとても大事な事だと、ロンドンで
学んで帰ってきたとのことですから、
数々の試練はあれど、充実した留学になったのだと思います。

 

河邊徹が考える、今だからこそ求められる音楽の重要性

 

 

今、この状況下において人に力を与える音楽の重要性
ライブの持つ力はとても大きなもののように感じます。

アーティストの良いところは、ライブをして
目の前の観客が幸せになっていく姿を
見ることができる
ということだ、と河邊徹さんは考えます。

 

音楽を目の前で聴いてくれて笑顔になってくれる人がいる
これは、とても素晴らしいことです。

ですが、現在はそれがなかなかできない。

河邊徹さんやWEAVERのメンバーだけでなく、
アイドルや芸能人なども、バンド活動やコンサート、
芸能活動を通して救われてきたことがたくさんある
と思うんです。

それをすることが難しくなってきている今、
なんとかそれを取り戻さなければならない。

そして、これからどんな世界を届けていこうかと
悩んでいる方は、たくさんいらっしゃると思います。

その中で、どんなものを生み出していくのか
発信していけばいいのか

今、そんな音楽の力が改めて見直されている
そんな気がします。

 

デビュー10周年を迎えたWEAVER 河邊徹が語る10年間の思い

 

 

WEAVERは、今年でデビュー10周年を迎えました。
この10年間は、河邊徹さんにとって
どんなものだったのでしょうか?

 

河邉徹さん曰く、

 

「よくある言葉ですけど、一瞬でした」。

 

あっという間に10年が過ぎた、と
いうことなんですね。

 

10年前とは違い、”目の前の人にしっかりと伝える”と
いうことを大事にできているので、とても良い活動が
できているとのこと。

 

音楽をたくさんの人に届けることは、
とても大切なことですよね。

 

心に響く曲を、これからもWEAVERには
届けていってほしいと思います。

 

バンド名である”WEAVER” 実は間違えてつけられた!?

 

 

この”WEAVER”というバンド名の意味、
みなさんはご存知ですか?

 

WEAVERというのは、”紡ぐ人”という意味なんです。

 

みなさん、ご存知でしたか?

 

では、なぜこのバンド名にしたのでしょうか?

 

最初はWEAVERではなく、”波”という意味のWAVERに
しようと考えていたそうなのですが…

たまたまライブハウスの方が、
間違えてつけてしまった
んです!

 

WAVERだったのが、ライブハウスの方が間違って
WEAVERと入れてしまった
んですね。

後日、WEAVERの意味を調べてみたら
”紡ぐ人”という意味だったので、

 

「ああ、ええやん、これ!」

 

…ということになり、バンド名がそのまま
WEAVER
になったんですって。

 

とても印象的な深い意味のあるバンド名ですが、
最初は偶然だったということなんです。

 

すごい偶然ですよね…。

 

作詞するよりも小説を書く方がラク!?そのワケとは

 

 

河邉徹さんは、WEAVERの楽曲の作詞を手掛けています。

作詞するときというのは、感覚を研ぎ澄ませながら
書いていく
もの。

一方で小説は、創造力を膨らませて書いていきますよね。

これを両方ともやられていること自体がすごいのですが、
作詞と小説執筆ではどのような違いがあって、どのように
作業を進めていらっしゃるのでしょうか?

 

小説も歌詞も、どちらも言葉を紡いでいくことには
変わりはありません。

しかし、互いにインスピレーションを
分け合って書いているそうです。

小説の場合は、1日に1,000字以上を執筆する
作業を行っているため、”言葉を出す筋肉”が鍛えられています。

そのおかげもあって、作詞するときも歌詞がたくさん
頭に浮かび、その中から選ぶ
という作業をしています。

その作業がとても楽しいのだそうです。

 

ですが、歌詞を書くときの方が
精神的に疲れてしまう
のだそう。

意外ですよね?

小説は、10万字は書かないと1作にはなりませんから
小説執筆の方が大変なように思えますが、
河邉徹さんの場合は違います

 

作詞の際は、全神経を集中させて”本当に良い言葉”を
厳選
しないと音楽を聴く人の心に届かないので
厳選した言葉を並べていく作業というのは、
簡単そうに見えてかなり苦しい
、ということなんです。

小説を執筆したときよりも、歌詞を書き終えたときの方が
より疲れを感じる
といいます。

河邉徹さん自身の奥底にあるものを書いていく
作業でもあるので、それが思っているよりも大変なようです。

 

未来を予想するのではなく、好きなことをしっかりと続けていく WEAVER河邉徹の新たなる挑戦

 

 

河邉徹さんには、やりたいことがたくさんあります。

写真を撮ったり、小説を出版したり。
WEAVERとしての活動も、もちろん続けていきたい。

 

河邉徹さんは、”好きなことをちゃんと続けていくこと
とても大切”であると話します。

 

新型コロナウイルスの影響で、なかなか思うように
行動ができなくて悩んでいる人は大勢いると思います。

でも、こんな未来を誰が想像したでしょうか?

恐らく、誰も予想できなかったはずです。

 

未来は、いつだって見えない

だからこそ、未来を予想して何かをするのではなく
今好きなことを積み重ねていったら、それは
きっと何かにつながる
と思うんです。

河邉徹さんの場合は、小説を楽しんで書くことができて
それが作詞や音楽にも活きている。

これって、確実につながってますよね

 

写真撮影が好きな河邉徹さんは、写真集も出版しています。
その写真集は、すでに売り切れ。

すごい人気です。

 

…というように、好きなことを極めて続けていけば
何かしらの大きな結果を生みます。

 

ちゃんと好きなことを続けていく
それが、河邉徹さんのやりたいことです。

継続は力なり、とはこのことですね。

 

さて、最後に。

 

河邉徹さんの夢と挑戦について伺っていきます。

 

河邉徹さんの大きな夢は…

 

直木賞か本屋大賞をとること。

 

これ…実現しそうな気がするのですが。

 

「作家になりたい人は、特に宣言しないとだめだと思って」

 

 

と、河邉徹さん。

 

面白いものを作品にして、モチベショーンを高めて
これからも創作活動を行う傍ら、WEAVERとしても
ますます大活躍の河邉徹さんに、今後も注目です!

 

取り敢えず、私は近いうちに
「アルヒのシンギュラリティ」を買いに行きたいと思います。

 

河邉徹さんの詳しい情報はコチラから
チェックしてみてください!↓

 

WEAVER公式サイト

小説家 河邊徹 ‐ WEAVER オフィシャルサイト

河邉徹 Twitter

 

「アルヒのシンギュラリティー」書籍情報はコチラ

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
次回もお楽しみに…♪

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