不動まゆうが灯台守の取材でわかった”街の生命線”灯台の魅力

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みなさん、こんばんは。愛原夢音です♪

 

 

全国の様々な場所にスポットを当てて、普段気づかなかった日本の魅力を再発見していく
耳で聴くフリーペーパー「apollostation Drive Discovery PRESS」。

 

編集長のホラン千秋さんが、毎週様々なゲスト特派員をお迎えして
魅力的なローカル情報をたっぷりお届けしていきます。

今回は前回に引き続き、フリーペーパー「灯台どうだい?」の編集長で
灯台マニアの不動まゆうさんに、海の先を照らしてくれる灯台のディープな世界をお届けしていきます。

 

どうぞ、最後までお付き合いください!

 

 

 










前回は、灯台マニアの不動まゆうさんが灯台にハマったきっかけや、
灯台を楽しむための4つのポイントをついてお伝えしました!

 

今回の記事を読む前にお読みいただくと、
より理解が深まると思います。

ぜひ、前回の記事も参考にしてみてください!↓

 

 

灯台マニア不動まゆうに聞く、”巨大な宝石”灯台を楽しむ4つのポイント

 



Contents

日本の近代化を支えた灯台

 

 

 

灯台は、日本の近代化を支えた存在です。

日本で一番最初に灯台が点灯し始めたのが、明治2年のこと。
着工したのは、明治元年になります。

灯台が建てられることで、海外から船が港に入ってこられるようになりました
日本各地で開港して、日本が新たな文化に触れることとなったわけですね。

灯台があるから、その土地が潤います。

例えば、横浜や神戸などの港町は特の文化をもっていますよね。
そこに新しい文化が入ってくるのは、必ず灯台があってのことなんです。

 

地元に灯台がある方にとっては、

 

「この灯台が私たちの街に、おじいちゃんとかおばあちゃんとかに
どんな影響を与えた灯台なんだろう」

 

と興味を持つと、灯台に対する見え方が360度変わってくるのではないでしょうか。

 

 

 



江戸時代からあった日本式の灯台

 

 

 

現在の灯台の形は、いつぐらいから?

 

昔の灯台も現在と同様、基本的には塔の形をしています。

今は電球が使用されている灯台ですが、
かつては火をおこしていました。

昔はたいまつに火をつけ、その光をぴかぴかに磨いた大理石などで
なるべく前方に送るように反射させて光を遠くまで届けていたようです。

 

いろいろな試行錯誤をして、

 

「あ、これのほうが遠くに届くんじゃないか」
「こっちの方がいいんじゃないか」

 

という知恵と技術の塊が、灯台ということなんですね。

 

先程明治からと述べましたが、実は日本式の灯台は江戸時代からありました。
なぜなら、北前船がそういう光を求めていたからです。

神社仏閣などには灯籠や石灯籠がありますよね?

それらが、日本式の灯台の代表格です。

灯籠のように火をおこしていたり、日本風の小屋の中で障子紙の中で灯心を燃やして
その番をする人たちが交代でいたりして光を出していたのだそうです。

それが今でも残っている場所は、いっぱいあります。

 



”街を発展させる生命線”を守る灯台守

 

 

 

 

灯台を管理している人がいないと火事になってしまいますし、火が消えてしまっても困りますよね。
灯台は、町を発展させるための大事な生命線になっていたんです。

その大事な生命線を絶やさないために、灯台を必ず守る人が必要でした。

なぜならば、そこを目印として航海する人たちがいるので
いつもついている灯りがないというのが一番危ないから。

自分たちがどこにいるのか、知ろうとしても知るすべがありませんからね。

そうならないために、灯台守の人たちが灯台を守っていたという歴史があります。

不動まゆうさんは、運良く灯台守をしていた最後の代の方たちにお会いして
実際にお話を伺うことができた
そうなんです。

 

その方たちから、

 

「まゆうちゃんがそんなに灯台を好きだったら何でも教えてあげるけど、
ぜひこれを他の代の人にもおしつたえてね」

 

と言われたとか。

 

これはなるべく多くの人に伝えていきたい、と不動まゆうさんは思っているようです。

 

 



灯台守にトラブルはつきもの?

 

 

 

不動まゆうさんが作っている「灯台どうだい?」のフリーペーパーでは、
実際に灯台守のインタビューを掲載したこともあります

灯台守のインタビューの中で、不動まゆうさんが一番印象的だったエピソードは何なのでしょうか?

 

昔、灯台を管理していたときに、急にレンズと光を発する部分の調子が悪くなってしまったそうなんです。

光はついたのですが、レンズが回転しなくなってしまった。
そうすると、一定の方向にしか光が届かないので困ってしまいました。

 

すぐに復旧することは難しい…。

 

それでは、どうしていたかというと…

 

レンズを一晩中手で回していたんです。

 

 

 

「朝になってヘトヘトだったけど、特に事故なんかもなくてよかった!」

 

 

と思っていたら、次の日の朝に港の漁師さんに

 

 

 

なんか昨日、逆周りしてなかった?

 

 

と言われたのだそう。

 

毎日灯台の光を見ているから、回り方が違うということも
気づくとのことなんです。

 

”こんなドジな灯台守は僕だけかもしれないね”と言う方も。

 

ただ、灯台守のエピソードはそういうほのぼのとしたものばかりではありません。
というのも、灯台は戦時中に攻撃されたという歴史があるからです。。

日本の戦艦の動きを止めるために攻撃対象になった灯台
灯台には光を守る灯台守がいましたから、灯台守で殉職された方もすごく多かった。

家族で住みこんでいたので、灯台守だけではなくて本当に小さな命も失われました。

山火事になってしまうと、今度は逃げる場所がない。
それでもギリギリまで光を守っていたのがわかるようなことが残っていたりもします。

涙無しには語れないようなエピソードも、たくさんあったようです…。

灯台が大好きな不動まゆうさんは、灯台に行くとついついはしゃいでしまうのですが、
ここで一旦心を落ち着かせて。

ここでは楽しい思い出だけではなく、悲しい思いをした人もいるかもしれない。

いろんな思いをした人がきっといるはずだということを、
いろいろと想像をするようにしてそうです。

その人の分だけ、ドラマがあるということなんですね。

 

 



灯台守は3年ごとに配置換え

 

 

 

 

灯台守の人たちはだいたい2、3年おきに配置換えがあります

戦後は海上保安庁なのですが、
戦前は海上保安庁に変わる昔の日本の省庁がその人たちを司っていました。

離島の灯台と北海道の灯台と沖縄の灯台では全然違いますよね?

そこで、あまり不公平がないようにということで配置換えはしていたようです。

ご家族の方はしょっちゅう転校などで大変な思いをしていたとか。

みんなで協力して灯台を守っていたということが、よくわかりますね。

ですが、灯台には休みはありません。
毎日灯台は役割を果たさなければなりませんからね。

GWなんて、そんな浮かれたものはきっとなかったでしょうし
恐らく旅行に行くこともないでしょう。

 

ある灯台守の方は、

 

「灯台の管理ももちろん技術が必要な大変な忍耐力が必要なものなんだけど、
そこで生き抜くというのが一番重要な仕事だった」

 

と仰っていました。

 

それほど、大変な仕事なんです。

場所によっては熊や猿、人間の命を脅かす毒ヘビなどとも
共存していかなければいけません。

 

まさに、サバイバルですね。

 

 

灯台って、穏やかな場所にあるというよりは過酷な環境のところに立っている
イメージがありますよね?

灯台としては、嵐が来た時にそれを凌げるようなものがない中で
一番最初に先陣を斬らなきゃいけないわけです。

となると、海を見て癒やされるという部分はあったとしても、
責任は重大だということがわかります。

 

「灯台どうだい?」というフリーペーパーを出している不動まゆうさんのもとには、
”自分は灯台で生まれ、父親が灯台守だった”という方からも手紙や葉書が届きます。

 

「本当に当時は大変だったけど、やはり父のことをすごく誇りに思うし
各地の灯台に行けたことは本当に良い経験でした」

 

という方や、

 

「いろんな場所に友達や知り合いがいるし、同じ日本でもいろんな景色があるということが
僕はわかって、世界観が広がったんだよね」

 

という方もいらっしゃいました。

 

 



日本最古の神子元島灯台はボーダー柄?

 

 

 

全国津々浦々灯台をご覧になっている不動まゆうさんが、
グッときた灯台はどんなものなのでしょうか?

 

まず、不動まゆうさんは離島の灯台にとても惹かれるといいます。

 

なぜかというと、簡単には行けないから。

離島は離島でも無人島の灯台なので、普段はぽつんと一人で立っています。
それが、神子元島灯台。

そんな灯台だからこそ、

 

「私が行っていつもありがとう!と言って感謝の気持ちを伝えなきゃ」

 

 

という思いになるといいます。

 

 

神子元島灯台は、下田の沖合10キロほどにあります。
結構遠いです。

この神子元島灯台、現役の灯台としては日本最古と考えられています。
今年でちょうど150周年を迎えました。

 

その神子元島灯台というのは、見た目はどんな感じですか?

 

そんなに背は高くないのですが、大きなレンズを持っていて
黒と白の縞模様になっています。

 

神子元島灯台と周りは、本当に海だけ。
360度海です。

島の一番高いところに灯台が立っています

ちょうど、ピンクとラベンダーと水色みたいなグラデーションのきれいな空を
バックに撮影された写真が、「灯台どうだい?」には掲載されています。

 

当時、この灯台を建てることは簡単ではありませんでした。
灯台づくりが難航した理由は、石作りであるということ。

下田の出石を100人以上の石工職人が切り出して船に乗せて運んだそうです。

神子元島灯台は、西洋式の灯台と呼ばれているタイプのもの。

当時の日本人は灯台を建てることができなかったので、
スコットランド人の技術者の指示によって建築して完成にまで至りました。

灯台の初点灯は明治3年、旧暦で11月11日。
長い歴史を感じます。

この灯台も、戦争のときにレンズが銃撃されてしまいました。
粉々になってしまった当時のレンズの破片が、今でも島には落ちていたりもします。

 



不動まゆうにとっての灯台とは?

 

 

 

不動さんにとって、灯台とはズバリ何なのでしょうか?

 

それは、目的地です。

 

そのことについて、不動まゆうさんはこう話しています。

 

 

「灯台って、船を目的地に向かわせるために立っているものなんですが、
私にとってはもうその灯台自体が目的地というか。

灯台が動かないってことが重要だと思っていて。

いつ行っても、灯台はそこにいてくれるっていう安心感が魅力ですね。」

 

変わることなくいつ行っても受け止めてくれる
そんな素敵な存在が灯台なんですね。

変わりゆく日本や私たち人間の生活を常に優しく見守っていてくれて、
毎晩毎晩光を灯すという、動じないかっこよさがあると思います。

 

日本でもまだコンプリートしていない灯台もまだあるとのこと。

 

そんな不動まゆうさんに、ホラン千秋さんから一言。

 

「じゃあ、そこを様々、これからいろんな素敵な灯台に出会って不動さんご自身の人生、
この大航海の中でその土地その土地でね、それを照らしてくれる素敵な灯台に
出会いますようにというのを私は祈っております。」

 

すると、不動まゆうさんからとびきりのギャグが…!

 

 

「ありがとうだいでございます。」

 

 

 

フリーペーパーの名前が「灯台どうだい?」な理由がわかったような気がします。

 

 

 



前回に引き続き、灯台マニアの不動まゆうさんを
特派員にお迎えして灯台の魅力を伺ってきました。

いかがでしたか?

今回は、灯台守のストーリーの部分を深く伺うことができました。

灯台というと、ライトにばかり目が行ってしまいがちですが…

灯台の灯りの温かさや美しさに癒やされたり、救われたり励まされたりもしますよね。

そんな灯台の光は、灯台守という人たちが光を絶やさぬように守ってくれています。

決して軽くはない、重大な責任感や使命感を背負って灯台の光を照らし続けてくれている。

誰かのために、この明かりを照らしていないと大変なことになってしまう。

そのような強い思いを抱きながら照らしてくれていたんだなと思うと、単なる一つの建築物だけではないことがわかります。

灯台が照らす、その先の歴史や背景、人々のドラマ、奥行きのようなものが浮かび上がってきます。

不動まゆうさんのお話を伺って、灯台がより身近なものに感じました。

そこに人の魂が宿っているエピソードもお聞きして、ジーンとくる場面も…。

日本には、およそ3000基の灯台があります。

ですので、みなさんのお住まいの近くの灯台から見に行くことから始めるのもアリかもしれません。

それまでは、不動まゆうさんのフリーペーパー「灯台どうだい?」や本、灯台の画像を検索してどの灯台行こうかな?と、灯台ハントをするのもいいかもしれません。

私も、北海道の灯台を調べて、お気に入りの灯台を見つけていきたいと思います!

みなさんも、お気に入りの灯台を探してみてくださいね!




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