みなさん、こんばんは。
愛原 夢音です。
今回は、坂本美雨のディアフレンズから。
ゲストは、編曲家の船山基紀さんです。
沢田研二さん、中島みゆきさん、田原俊彦さん、
KinKi Kids、嵐、そしてKing&Princeなど、
みなさんが1度は聞いたことのある楽曲を手がけている、
まさに日本を代表するアレンジャーである船山基紀さん。
アイドル全盛期のときの話や、1番多くタッグを
組んできた筒美京平さんとの出会いについても伺っていきます!
さらに…ヒット曲を生む法則「頭5秒」の
船山マジックについてもお届けします。
Contents
数々のヒット曲を生んだ編曲家、船山基紀 ジャニーズのあの楽曲も手掛けていた
ディアフレンズに初登場の、
日本を代表する編曲家の船山基紀さん。
簡単に、船山基紀さんのプロフィールをご紹介します。
船山基紀さんは、1951年生まれの69歳。
これまで船山基紀さんが手掛けられた楽曲は、
沢田研二さんの「勝手にしやがれ」、
キャンディーズの「ハート泥棒」、
郷ひろみさんの「お嫁サンバ」、
中島みゆきさんの「悪女」などなど…
聞いたことがある方もたくさんいらっしゃると思います。
船山基紀さんは、田原俊彦さん、少年隊からはじまって
SMAP、嵐、関ジャニ∞、
KinKi Kidsの「ジェットコースターラブ」や
Sexy Zoneの「Ladyダイヤモンド」、
King&Princeのデビュー曲「シンデレラガール」など、
ジャニーズの楽曲も多く手掛けられています。
今まで手掛けられた楽曲は3000曲以上。
もちろん、ボツになったものや
アレンジしたものの世にでなかったものも多くあります。
その中から72曲厳選されまして、12月16日に
「船山基紀サウンドストーリー時代のイントロダクション」
というボックスセットが発売になります。
4枚組のコンビネーションCDボックスなのですが…
選曲は大変な作業でした。
このボックスというのは、ヒット曲はもちろん
世にでなかったものや、あまり知られていない
アルバムの中の1曲などを取り上げているので
いわゆる”船山サウンド”というものが
たくさん収録されています。
中には、船山基紀さん自身が編曲したものでタイトルを見ても、
「これ…なんだっけ?」
とすぐには思い出せない、忘れている曲も。
音を聞いたら、「あ、これか!」とわかるような
船山印のサウンドのものを厳選しているようです。
ヒットする曲は”頭5秒”で決まる!?ヒットする曲に共通する、ある法則とは
昔のヒット曲というのは、
ヒットチャートがとにかく重要視されていました。
とにかく、頭5秒間が非常に重要という傾向が強かった。
そのため、頭5秒間で人の心を掴まなければ
ならないということを強く意識。
頭5秒間に、アレンジの90%を以上をかけるわけですね。
どう惹き付けるかということも大切になってきます。
派手に惹き付けるのか、それともジワジワと
惹き付けるのかという違いはあっても、
頭5秒間が勝負ということを念頭に起きながら
船山基紀さんは編曲に臨んでいます。
作曲家からデモ音源が来て、船山基紀さんは
編曲を行うわけですが、その時点で”頭”を
どのように考えているのでしょうか?
まず、音楽には鉄則があります。
それは、メインの曲のモチーフになるところを
イントロで流用するということです。
普通はそういう風に教わるのですが、
船山基紀さんの場合は違うんです。
ヒット曲というのは、ファッションと同じように
そのときそのときで流行というものがあります。
そうすると、いろんな作曲家の方が
船山基紀さんのもとに来たときに、
だいたい同じようなメロディーになってしまうことが多い。
そのとき流行っている曲調や、曲のモチーフを流用して
イントロをつくってしまうと、音楽的にはだいたい
同じようなものになってしまうんですね。
そうならないために、船山基紀さんが行っているのは
詩の内容からインスピレーションを受けて付加価値をつけること。
そして、ビジュアル。
たとえば、アイドルの場合…
テレビにパッと登場したときに「わっ!」と
みんなが言うようなイントロをつける、
なんてこともあるのだそうです。
デモテープから、船山基紀さんのイマジネーションは
はじまっているということなんですね。
船山基紀も驚いた、天才作曲家 筒美京平の楽曲への思い
そんな船山基紀さんと一緒に仕事をした
回数が多い作曲家は、筒美京平さん。
数々の名曲が生まれていますが、
筒美京平さんからのデモテープはどんなものなのかというと…
どんかばんというリズムマシーン。
何代か前の初期の頃に使われていたもので、
ボタンを押してパターンを選ぶというシンプルなマシーンです。
それを打ち込んでいくのですが、
筒美京平さんは打ち込みをせず、全て手引きなんです。
信号を送ったあとに、ベースやピアノ、
そしてメロディーを入れる。
それが独特の味となっていくということなんです。
“その音がせっついている感じがする”と、船山基紀さん。
そのデモテープの凄まじさを削がないように、
そしてそれ以上に凄まじいイントロをつけるというのが
船山基紀さんの仕事です。
筒美京平さんからのデモテープには、筒美京平さんの
“こういうふうにしてほしい“という思いが
現れているということなんですね。
デモテープを聴いただけでじっとしていられなくなる
ということからも、筒美京平さんがとても素晴らしい
作曲家だったことが伺えます。
筒美京平さんからのデモテープ、
実は船山基紀さんのもとにはないんです!
探しても、見つからなかったといいます。
筒美京平さんからは、全てカセットで
よくデモテープをいただいていたのですが…
「なくなってしまった…というより、捨てたんですね」
と、苦笑い。
半年もすると、部屋が埋まってしまうくらい
膨大な量のカセットがきたのだそう。
すごいですよね…。
筒美京平は太田裕美の「都忘れ」で船山基紀を試していた!?
ちなみに、筒美京平さんと
初めて仕事をしたときの曲というのが…
太田裕美さんの「都忘れ」という曲です。
「都忘れ」は1976年の楽曲。
筒美京平さんが25、26歳のときのことでした。
筒美京平さんは、船山基紀さんを試すために
太田裕美の曲で”試験”をしたといいます。
ある日のこと、船山基紀さんは夜10時に呼ばれて
編曲の依頼を受けます。
しかも、それを完成させるリミットは翌日の朝10時まで。
しかも、翌日の朝10時のレコーディングに
間に合わせるということですから、
かなりハードルが高い試験になりました。
1晩で完成させなければなりませんからね…。
「こいつは1晩でどうアレンジしてくれたのか」
を試されていたわけです。
ちょっと、いや、かなり…恐ろしい。
そして翌日、スタジオに行ったら
すでに船山基紀さんが編曲した曲が流されているんです。
さらに…レコーディングが終わってから
銀座やおでん屋さんに連れていかれた船山基紀さん。
おでん屋さんで、
「船山くん、筒美京平って嫌いでしょ?」
と言われたといいます。
「いや、そんなことないです!」と言った船山基紀さんに
返ってきた言葉は、驚くべきものでした。
「いや、嫌いでもいいんだけど、筒美京平と
仕事をするときは筒美京平の作法でやってね」
との一言。
強烈なプレッシャーがこもったその一言を聞いた
船山基紀さんは、食べていたおでんの味がしなくなったとか…。
思わず、身震いしてしまいますね。
田原俊彦はデビュー当時から真面目だった?編曲家から見た大スター、田原俊彦
さて、4枚組のコンビネーションCDボックスが発売になります。
番組では、コンビネーションCDボックスの中から
選ばれた田原俊彦さんのヒットメドレー、
「田原ディスコメドレー」がオンエアされました。
船山基紀さんは、田原俊彦さんとの思い出をこう語っています。
船山基紀さんが田原俊彦さんに初めて会ったのは、
田原俊彦さんが18、19歳の頃。
田原俊彦さんのデビュー曲「ハッとしてGood!」で
一緒に仕事をしたそうなのですが、
スタジオに入って後ろの方で見学していた
田原俊彦さんを見ると、微動だにしなかったといいます。
全く、動かなかったんです。
それだけ集中していたということなんですね。
これを見た船山基紀さんは、
「わあ…この子、すごいな」
と感心したのだとか。
そのことが、とても印象に残っているとのこと。
デビュー当時も、そして今も。
田原俊彦さんはとても真面目な性格なんですね。
ジャニーズのレコーディングは、
ほとんど時間がない中で録音されました。
なかなか時間が取れない中でのレコーディングですから、
本当にギリギリなんだそうです。
アーティストをどう生みだしていくかという
いろんな意見があって、結局、1番最後は
アレンジャーのところにやってくるというわけなんです。
時間的にも余裕はないので、
それはそれで大変だと言うことですが…。
曲のタイトルを見ているだけでも、面白いですよね。
名曲「ハッとしてGood!」の名付け親は偉大なあの人だった!?
特に、田原俊彦さんの「ハッとしてGood!」。
実は、このタイトルの名付け親は”ジャニーさん”こと、
ジャニー喜多川さんなんです!
確かに、言われてみればタイトル名が
ジャニーさんっぽい…気もします。
タイトルでも、インパクトを与える。
そのことが、曲をヒットさせる上で大切なことでした。
「船山基紀 時代のイントロダクション」。
4枚組のボックスセットに収録されています。
発売まで、あともう少しです。
船山基紀が1番緊張したレコード大賞授賞式
森永乳業カフェトーク。ここからは、ゲストの方に
もっとリラックスしていただこうというコーナーです。
船山基紀さんへの質問はコチラ!
最近めちゃくちゃ緊張したことは?
この質問に、
「この歳になると、めちゃくちゃ緊張したことは
あまりないんですね。緊張はしません」
と断言した船山基紀さん。
それでは、過去にとても緊張したことはあるのでしょうか?
それは…
レコード大賞の授賞式です。
沢田研二さんの「勝手にしやがれ」で
レコード大賞受賞式に出た船山基紀さん。
ところが…何を着ていけばいいのかわからなかった
船山基紀さんは、スーツを着ていきました。
葬式用のスーツしかなかったので、それを着ていくことに…。
レコード大賞の授賞式は、とても緊張したそうです。
その当時、船山基紀さんは25歳のとき。
歌謡曲には馴染みがなかったという船山基紀さんは、
もともとジャズをやっていました。
曲のアレンジというのは、オーケストラやビッグバンなどの
譜面を書くことだと、船山基紀さんはずっと思っていたんです。
ところが、”ポップコーンみたいな山のような
仕事”をすることになって初めて、
歌のバックのアレンジを書くということを
船山基紀さんは始めるようになります。
そこから、だんだんと歌謡界がどういうものなのかと
いうことがわかってきたといいます。
それまでは、ラジオばかり聞いていたようですよ。
そんな船山基紀さん。自分がやりたい音楽と歌謡曲との
ズレを感じたことはなかったのでしょうか?
ズレを感じたことはよくあったそうで、最初の1年ほどは
「歌ってなんだろう?こんなにコードも簡単だし
どうしたらいいんだろう?」
とずっと思っていたとか。
しかし、ずっと仕事をしていると慣れてくるのか
だんだん染まっていくとのこと。
その中で、きっと自分の好きなものを
取り入れてきたのでしょうね。
自分の好きだったアメリカの曲を聴いていたこともあって、
それを流用していきたいと船山基紀さんは考えていました。
今でも、そういう曲を流用しているところは
あるということです。
ビジネス的にやらなければいけないことと、
本当に好きなことのバランスを保たれていたと
いうことなんですね。
ただ、現在は自分の好きなこととやらなければ
いけないことという考え方がなくなってしまって、
ごく自然体にできるようになったといいます。
熟練だからこそ、できることですね。
日本を代表する編曲家の船山基紀さんをゲストに、
ここまでお話を伺ってきました。
船山基紀さんのこれまでの歴史が詰まった
コンビネーションCDボックス、
「船山基紀サウンドストーリー 時代のイントロダクション」は
12月16日に発売となります。
ぜひみなさんも、手に取ってみてください!
ここまでお読みくださりありがとうございました!
次回もお楽しみに…♪